20221006

AIアート(この言葉もなんだかだけれど)が最近流行っているけど、

EMS synthiやBuchlaを期待していたら、

MOOGだった、みたいな妙な感覚になる。

新しいテクノロジーかと思ったら、なぜか鍵盤がついていて、

それでクラシックを弾いてみるって、どうなんだ。

 

文章から何かを生成してそれを発表するときに、

大体の場合「生成した文章はこれで、そして何かはこれです」という、

大喜利みたいな感じでプレゼンテーションする場合が多いようだけれど、

それって実際単なる大喜利なのでは?

AIがどうとか全然関係ないのでは?とも思ってしまう。

 

それに関連して、数年前から妙に言葉の力が強い世の中だなと思っていたけれど、

その感覚はどんどん強くなっていっている。

川村元気佐藤雅彦率いるc-projectが作った『どちらを選んだのかはわからないが、どちらかを選んだことははっきりしている』を見た時にかなり強く感じた)

 

「花束みたいな恋をした」もサブカルがどうというよりも、

ひたすら言葉言葉だった。

現実が言葉言葉なのに、

わざわざお金を払って言葉言葉っていうのが、僕にはよく分からない。