AIアート(この言葉もなんだかだけれど)が最近流行っているけど、
EMS synthiやBuchlaを期待していたら、
MOOGだった、みたいな妙な感覚になる。
それでクラシックを弾いてみるって、どうなんだ。
文章から何かを生成してそれを発表するときに、
大体の場合「生成した文章はこれで、そして何かはこれです」という、
大喜利みたいな感じでプレゼンテーションする場合が多いようだけれど、
それって実際単なる大喜利なのでは?
AIがどうとか全然関係ないのでは?とも思ってしまう。
それに関連して、数年前から妙に言葉の力が強い世の中だなと思っていたけれど、
その感覚はどんどん強くなっていっている。
(川村元気、佐藤雅彦率いるc-projectが作った『どちらを選んだのかはわからないが、どちらかを選んだことははっきりしている』を見た時にかなり強く感じた)
「花束みたいな恋をした」もサブカルがどうというよりも、
ひたすら言葉言葉だった。
現実が言葉言葉なのに、
わざわざお金を払って言葉言葉っていうのが、僕にはよく分からない。